身内や知り合いには想像つく人が多いと思いますが、以下、暗いです。
また、詳細に書き留めておきたいので、グロテスクな表現もあります。
お食事中の方は、ご遠慮くださいませ。
男性や妊娠中の方も、心臓に良くないかも。
では、スタート。
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殆どの人にはメールでお知らせしましたが、今回の妊娠は胎児死亡という形で終わりました。
土曜日にさなのお誕生日パーティで一日遊んだ後、少し出血していまして。
(ちなみに、さなへのプレゼントはダイエットグッズでした。
ここ重要、ダイエットグッズでした!)
それまでもオリモノが赤黒くなっていた為、
「まだ胎盤の外に血が残っていたのかな」なんて考えていました。
日曜日になると、お腹の左側が時々痛み始め。
夜に鮮血を見ました。
「これは、ヤバいかも」と恐怖に変わったのは、月曜日の朝。
お手洗いへ行ったら、夜よりも多い出血が。
鴉さんに話し、朝一で病院へ行ったわけです。
この時には、多少覚悟をしていました。
痛みに覚えがありましたし、12週でこんなに出血していて、ただで済むとは思えませんでした。
9時過ぎに診察室へ呼ばれ、すぐに内診台へ。
内側を診てもらうだけで激痛が走り、足を開いているのが困難な状態。
看護士さんに怒られながらも、なんとか足を踏ん張り、深呼吸して力を抜き。
そうしながらも、お医者さんの微妙な反応で、悟ってしまいました。
だから、冷静でいられたのかもしれません。
その後に超音波映像を見せられた時、成長していない我が子を見ても泣き出さずに済みました。
5センチくらいになっていなければならない影が、前回と同じか、やや小さいサイズしかなく。
心拍も確認出来ませんでした。
いったん診察室を出て、鴉さんの元へ。
「どうだった?」と聞く鴉さんに対し、「一番最悪な可能性が濃厚みたい」とだけ答え。
それ以上を話すのは、事実を認めてしまうみたいで、なんとなく嫌でした。
でも、「どういうこと?」としつこく聞かれてしまい(当然ですよね)。
「大きくなっていなかった、心拍も確認できなかった。詳しいことは、お医者さんから聞こう」
短く答えて、後は黙っていました。
その後、また診察室へ呼ばれ。
やんわりと丁寧な説明で「事実上、胎児死亡です」と告げられました。
前回の検診後すぐ、約9週くらいで死亡していたようです。
子宮だけ大きくなり続け、今になって身体が死亡を認識し、
流産の準備の為に出血をしているとのことでした。
私は冷静に受け止めていたのですが、鴉さんは静かに混乱していまして。
摘出施術の説明に入った時に、「嫁が納得していて、負担が少ない形であればそれで良いです」とだけ、
お医者さんの目を見て答えていました。
事務的な説明を受け、手術の日程を決めるからと、また廊下で待っているように告げられ。
ふたりで「ありがとうございました」と診察室を後にしました。
私は、鴉さんに笑いかけました。
普段通り、を心掛けました。
流産も2回目ですから、とても冷静でした。
おそらく鴉さんもすぐに気付いたのでしょう、いつも通りの馬鹿夫婦の会話が始まりました。
「周りに説明しなくちゃ。こういう文面で良いと思う?」とか。
「会社どうしよう、今日このまま休めるかな」とか。
「お医者さんの説明、やんわりし過ぎていたよね」とか。
あまり核心に触れないようにしながら、時折「大丈夫?」「平気」とか、混ぜたりしながら。
たくさんの人にメールをしたり、お義母さんに電話したり。
別室で手術の日程を決め、段取りを説明されたり。
病院を後にしたのは、10時半頃でしょうか。
10分後には帰宅し、その直後にお義母さんから電話があり「今から行くから!」と。
そして、お義姉さんと一緒に本当にすぐ来てくれました。
開口一番、「大丈夫?どうなっちゃったの?寝ていなくて良いの?」と質問攻め。笑
落ち着いて欲しかったので、さなから貰った桃のお茶を淹れました。
状況を説明し、「私は大丈夫」と繰り返し伝え、のんびり雑談して。
「まぁ、よく食べて寝て、元気出して!思ったより落ち込んでいなくて、良かったわ」
お義母さんに帰り際に言われて、ちょっと泣きそうになりました。
いつも心配をかけてしまっていて、申し訳なくて。
「家族なんだから」と言ってくれるから、余計に辛くて。
引っ越し中で忙しいのに来てくれて、残念で悲しい思いをさせて。
落ち込んでいられない、そう強く思いました。
お昼にはパスタを茹でて、ミルクスープパスタを作って食べて。
私は少しお昼寝、鴉さんはPCで動画を漁って、休憩タイム。
夕方からは、髪を切りに行きました。
何故このタイミングー?って感じかもしれませんが、前から切りたいと思っていたのです。
特に鴉さんはひどーく伸びちゃっていましたし。
私にしても、今切らなくちゃいけないって感じました。
気分を変える為にも、少しでも変化をつけたかったのです。
というわけで、美容院へ。
鴉さんはカットのみ、私はカットとトリートメントをお願いしました。
ほぼ同時に終わり、喉が渇いていたのでアフタヌーンティーでお茶して。
アフタヌーンティーセットという、スイーツと紅茶のセットを頼んで堪能。
(私が先にお店へ入って注文していたのですが、鴉さんが全く同じものを注文して笑いました!
アフタヌーンティーセットって、スイーツをセレクト出来るのですが。
セレクトの内容まで一緒なんですもん。
夫婦って、やはり似てくるのでしょうね!)
少し夕飯の買い物をして、車に戻りました。
で、その時に身体に異変を感じました。
下腹部がシクシクと痛むのです。
実は美容院に居る時から少しの痛みはあったのですが、この時には激痛。
女性ならわかる方も居るでしょうけれど、生理痛が重たい時の感じ。
この痛みから、身体から引き剥がす作業だとわかりました。
私の身体は胎児を異物と認識し、身体から排出したいのでしょう。
後でわかったことですが、この時から流産が始まっていたのです。
この時の私は、「あぁ、やっぱり死んじゃったんだ」なんて考えていて。
明日の手術で痛みが消えるのだろうと、ぼうっと思っていました。
帰宅して痛みが益々酷くなり、鴉さんにお夕飯を作ってもらっちゃいました。
とはいっても、レトルトカレーなのですが。笑
食べ終わった後、「明日に備えて寝る。シャワーだけ浴びてくるー」とお風呂へ向かった私。
痛みで身体を真っ直ぐに出来ないでいましたが、手術後はお風呂に入れないので、
どうしてもシャワーだけ浴びておきたかったのです。
そして、これがいけませんでした。
シャワーで身体を流し始めた直後、大量の出血。
お風呂のタイルが全面的に真っ赤に染まるほどの出血。
痛みに声を出せないでいると、下腹部から「ゴボゴボッ」と謎の音が。
(これが破水の音だったのかもしれません)
ふと排水溝を見ると、悲しいほど小さな我が子が流れていきました。
それを助けることもできず、蹲る私。
とにかく鴉さんを呼ぼうと、お風呂の中にある操作パネルの呼び出しボタンを押しました。
状況を説明し、病院へ電話してもらい。
病院側の指示で我が子を拾い上げて、スーパーのビニルへ入れ。
鴉さんに着替えを用意してもらい、なんとかお風呂から出て、支度をしました。
敢えて、普段通りに支度をしました。
当然お化粧はしませんけれど、ちゃんとドライヤーで髪を乾かしたりして。
慌てている鴉さんに、落ち着いて欲しかったんです。
流石にもう流産したんだってわかっていたので、余計に普段通りにすることが必要でした。
それでも30分後には病院へ到着し、夜間救急へ。
処置室で診てもらい、内側を消毒してもらいました。
あまりにも痛くて、台の上で暴れてしまいました。
その後に鴉さんと説明を受けたのですが、摘出手術の必要がないくらい、綺麗になっていたそうです。
完全に、流産です。
そのお医者さんは優しい方で、私を励まそうとしてくださいました。
初期の流産は両親の問題よりも、胎児の発育過程でのトラブルが殆どであること。
だから、防ぎようがないこと。
妊婦さんの1割が流産すること。
反復流産の場合でも、ただの確率の可能性が大きいこと。
それでも心配であれば、内科で検査できるように紹介状を書いてくれること。
そのお医者さんの奥さんも2回流産し、でも今は4人のお子さんのお母さんであること。
たくさん、話をしてくださいました。
でも、私は冷静で。
大丈夫なのに、なんて思っていました。
朝にも似たような説明を受けていましたし、
昨年散々婦人科へ通い、そこの先生にも同じようなことを言われていましたから。
子宮の収縮剤と無防備な子宮の為の抗生剤を貰って、夜間救急を後にしました。
帰宅して、すぐに薬を飲んで、鴉さんに「寝ろ!」と言われてベッドへ。
お風呂に入った鴉さんも合流し、ふたりで就寝。
眠れたのは、2時間程度でしょうか。
寝れないかな、とか思っていたのに、身体は正直でしたね。
深夜3時くらいに起き出して、私はもそもそとお手洗いへ。
まだ出血の続いている自分の体と、真っ赤に染まっていくトイレを眺めていました。
涙は出ませんでした。
痛みはさほど酷くなく、痛み止めも飲んでいないのに凄いな、なんて思っていました。
30分くらい、ぼーっと血を眺めて。
鴉さんの居るベッドへと戻りました。
戻った途端、抱きついてくる鴉さん。
「大丈夫ー?大丈夫なの?」と、泣きそうな声で鴉さんに聞かれ。
寝惚けているのかな、と笑いたくなり、「何が?怖い夢でも見た?」と答えました。
「何が、なんて聞かないでよ。硝子ちゃんだよ!硝子ちゃん、本当に大丈夫なの?」
鴉さんにそう言われ、私は反省しました。
あぁ、この人が一番傷ついているって。
怖かったでしょうね、普段は見ないような鮮血をたくさん見て。
心配掛けたでしょうね、私がどんどん真っ青な顔になっていくから。
悲しかったでしょうね、我が子をスーパーのビニルなんかに入れなくちゃいけなくて。
辛かったでしょうね、楽しみにしてくれていた実家へ報告しなくちゃいけなくて。
何よりも、一年もたたない内に流産を2回も経験させてしまいました。
私はまだ良いんです、自分の身体のことだから。
実感が伴うし、痛みもちゃんと伴います。
でも、彼は想像するしか出来ません。
見ていることしか、出来ません。
結果を受け止めることしか、出来ないんです。
私は鴉さんの頭を抱きよせて撫でながら、「大丈夫よ」と繰り返しました。
そして、ようやく涙が出てきました。
申し訳なくて、辛くて、悲しくて。
でも、私が泣いているとわかったら、余計に辛くさせてしまうから。
声を殺して、泣きました。
その内に鴉さんの寝息が大きくなってきたので、そっと頭を離しました。
ひとり、長かった一日を振り返っていました。
涙は流れたまま、です。
ふと、皆から貰ったメールを読み返したくなりました。
全員ではないけれど、かなりたくさんの人にメールをしました。
私の簡潔な報告メールに対して、多くの人が返信をくれました。
手術に付き添いが居るのかを心配してくれたり駆け付けると言ってくれた、姫や謙丞、きょこちゃん。
大丈夫って言っているのに顔を見に行くって言ってくれた、さな。
冷静でも強くても辛いものは辛くて良いんだって言ってくれた、元勤め先の同期。
一生懸命笑わせようとしてくれた、同期。
遠く離れていても心配なんだからって言ってくれた、同期。
不器用に励ましてくれた、母。
普段使わない絵文字を使って励ましてくれた、叔母。
自分だって辛いのに、長くて温かなメールをくれた叔母。
不器用でもストレートなメールをくれた梅ちゃん。
妊婦さんとして嫌な話題の筈なのに、私のことは良いからって心配してくれた、あきらちゃん。
元上司は電話をくれたけれど、話をしたら泣いてしまいそうだから、出れませんでした。
お義母さんは夜になっても鴉さんにメールや電話をくれました。
実家の祖父母には昼頃に電話で報告したのですが、辛かったですね。
今まで病院へ車で送り迎えしてくれたりして、かなりお世話になっていましたから。
とても喜んでくれて、気遣ってくれたのを見てきましたから。
そんな風に鴉さんの寝息を聞きながら思い返していたら、涙が止まらなくなって、嗚咽に変わっていきました。
もう、何故泣いているのか、わかりませんでした。
失って、悲しいから。
ずっと鴉さんが傍に居てくれたから。
私たち夫婦を取り巻く皆が優しいから。
身体が辛いから。
申し訳ないから。
思い当たる理由はたくさんあって、泣きやむことが出来ませんでした。
なので、今こうして日記を書いています。
今の時間は、4時38分。
日記を書き始めてから、30分以上が経っています。
ゆっくりと思い返しながら、涙を拭いながら、書きました。
前回に流産した時と、全然違う心境です。
それを忘れたくなくて、日記にしました。
あと何時間かすれば、鴉さんが起きてくるでしょう。
今日は鴉さんが仕事を休んでくれているので、ふたりで居られます。
夜間救急で出された薬は5日間分。
次の診察は、だいたい一週間後です。
それまで、誰とも会いたくありません。
おそらく、会うと泣いてしまいますから。
私は、いつまでも泣いていたくはないのです。
胎児の心拍を確認できたのは事実、着床して育っていたのは事実なんです。
それだけ、前回よりも良かったのです。
本当に小さかったけれど、この目で我が子にも会えました。
触れることも出来ました。
妊娠期間、幸せな気持ちになれました。
どうしても妊娠したいわけではないけれど(鴉さんは生涯夫婦だけでも良いと言ってくれています)、
先々を諦めたわけでもないですから。
これだけ沢山の方が心配してくれたのですから、
もし産まれてきたら、その子は祝福をたくさん貰えるのだと思います。
だから、安心しているのです。
私たち夫婦は、こんなにも幸せだから。
次の診察後、皆に会いたいですね。
その時には、しっかり笑えていると思います。
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